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2017年10月

2017年10月27日 (金)

第353号 「神のわざ 許す力」

<今回の執筆者:優月 薫>
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To err is human―but it feels divine.
Mae West
 
こんにちは 優月 薫です!
 
 
メエ・ウエストの
「あやまちをするのが人間―でもあやまちって、素敵な感じ」
 
この言葉の英語の古い名句にあるのは、
 
To err is human, to forgive divine.
「あやまちは人間の常、許すのは神のわざ」
 
なのですが、英語では名句
言葉っていろんな解釈ができて、この名句の意味を考えたことがありました(笑)
 
 
許すことができるような神なら、なぜ人間にあやまちを犯させるか・・・
とか、
人間は許すことができないのか・・・とか(笑)
 
この名句に対してメエ・ウエストは、がらりと転換させた言葉で対抗?しています。
 
メエ・ウエストといえば若い頃大きな胸を売りにした女優さんで、後にシナリオを書いたりして知性が評判になった人ですが、彼女のTo err is humanのerrは、「迷う」「正道をふみはずす」、道徳的あやまりの「浮気」などを含めた意味です。
それをbut it feels divineで、「素敵」「たまらなくいい」と表現してしまっています。
 
人間生きた経験を沢山すれば「神のわざ」みたいに、許すことができるようになるのかもしれませんよね。
 
 
divineって、女性が時々使う言葉で、
 
It’s so divine, today !
「とってもいいお天気!」
 
とかで使いますが、人間にはつくれないような素晴らしいことに使います。
あやまちをも楽しめるくらいの余裕がある人間に、なりたいなと思ってしまいます(笑)
 
とはいえ、仕事などのあやまちは、なかなか許すことできないのかもしれません・・・
だから、楽しめることにはならないのでしょうが・・・
 
他のことは、自分自身のことも他人のことも、あやまちすら楽しめる心の余裕が欲しいものです。
あやまちをするのが人間・・・なのですから(笑)
 
私も神わざを使える人になりたい~(^^)
精進致しますm(__)m
 
 
 
人生は長いようで短い
残りの人生何事も「素敵な感じ~」って
生きていきたいなと思いますm(__)m
 
 
 
 
 

2017年10月20日 (金)

第352号 「やはり、ラー博はいいな~」

<今回の執筆者:天月珠美>
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こんにちは、天月珠美です(^^)
 
 
先日、ある業界紙の取材で新横浜の「ラーメン博物館(ラー博)」に行ってきました。
 
実は、僕、ラーメン大好きなんです(^^)
バリエーションが豊富で、手間暇かけてる割に値段が安くて、もちろんおいしくて・・・
あ~、こんなに素晴らしい料理は日本の誇りだと思います。
 
で、ラー博に行ったのはずいぶん久しぶりでした。
あまり頻繁に行くと、お店が前と同じで面白くない、と思ってたらあっという間に数年たっちゃいました(^。^;)
 
ラー博は、開業してなんともう23年! 結構古いんです。
ぶっちゃけ、開業当初は「何年もつかなぁ」と、ちょっと白い目で見てたんですが、いやはや恐れ入りました m(__)m
 
恐れ入ったついでに、調べてみたらこんなこともわかりました。
 
なんと、横浜に観光に来た外国人客の訪問先の第2位なんです(ちなみに1位は中華街)。
すごいですよね~。赤レンガとか、山下公園とかより上位なんですよ。
 
そんなラー博ですが、やっぱりおいしい店がそろっていました。
とはいっても、ミニラーメンにしてもせいぜい2杯しか食べられないのが残念~。
なので、店を厳選して、今回は、以前出張したことがある利尻島(北海道)のラーメンと、ヨーロッパの人が食べに行くというドイツにあるラーメン店(日本人経営)に行ってみました。
 
もちろん、どちらも
トッテモウマカッタ~ ε-( ̄(エ) ̄*)/
 
日本には、ラーメン屋さんを集めたエリアがいくつかあります。
たとえば、東京駅の「東京ラーメンストリート」とか、品川駅の「品達」とか。
でも、それ専用の建物を作って、入場料を取って、、、というスタイルはラー博だけなんです。
 
入場料払ってラーメン食べる、なんて初めは考えられませんでしたが、その価値はやっぱりあるんですよね~。
 
そのほかのラーメンエリアは、ほとんどが大手企業が運営していて、まあ、当然ながらビジネス上のからくりというか「大人の事情」が裏側にたくさんあるわけです。
なので、確かにおいしい店が集まってはいるけれど、どこか「だろうね」みたいな感じがあるんですが、
ラー博は、地元の個人のオーナー会社が、ラーメンへの愛情をそのまま形にしてるので、店の選び方とかがとっても純粋なのです。
だから、「同じラーメン好きが選んだ店」、という個人的な共感がもてるんです。
 
これからの商売、結構こういうのが重要になるんだと思います。
飲食業は、どんな料理でもどんどんチェーン化が進んで、なんだかわけのわからないバイトが、自分が好きでもない料理を作ったり提供したり。
確かに、安くてそこそこの味ではありますが、「なんだかなぁ」という気持ちがいつもつきまといます。
 
そもそも、チェーン店は「ダメだったら閉店すればいい、業態を変えればいい」という発想ですから、個人が共感する部分って、ないんですよねぇ。
 
飲食に限らず、選択肢が増えている世の中で、強力なプロモーションツールは「個人的な共感」なんじゃないかと思うんです。
 
ま、そうはいっても、吉野家の牛丼は愛していますが・・・(笑)
 
 
あ~、ラーメン食べたくなってきた~!
またラー博いこうかな~
 
 
 
ではまた(* ̄▽ ̄)ノ~~
 
 
 
 
 

2017年10月13日 (金)

第351号 「生活のレベルを決める要素を考えてみました」

<今回の執筆者:天月珠美>
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こんにちは、天月珠美です(^^)
 
 
海外に滞在すると、いろいろな点で日本との違いを肌で感じます。
 
そういうなかで、漠然と
 
「この国は生活レベルが高いな」
 
と思ったりするのですが、じゃ、どういう要素が生活レベルを決めるんだろうか、と考えてみました(-ω-)
 
 
大きなカテゴリーでいくと、まずは経済的な要素だろうと思います。
 
例えば、「失業率」。
 
当然ながら、失業している人が少ない方が、世帯所得は高いわけで、
必然的に経済が活性している=お金が流通していることになります。
 
「GDPの額」という要素もあるとは思うのですが、その額が高いよりも、失業率が低いほうが経済的にはいい状態だと僕は思います。
 
経済が活性していると、一般的には税収も増えるので、社会サービスが充実しています。
それを踏まえて、生活環境に関する要素はどんなものかと考えてみると、
 
「治安」「教育」「衛生」「医療」「エネルギーインフラ」「交通インフラ」
 
というあたりですね。
 
 
もう少し、見た目でわかりやすいところだと、こういう要素もありますねぇ。
 
「走っている車がきれい」
「人々が身ぎれい」
「建物や乗り物に落書きがない」
「スーパーに品物がたくさんある」
「公共のものが壊れたままになっていない」
 
 
そう考えると、やっぱり日本は生活レベルが高いんですよね~。
これだけそろっている国はあまりないと思います。
 
 
ただ、精神的なレベルについては全然違う要素だと思います。
これは奥が深いです。
だからこそ、安易にあーだこーだと言えるだけのレベルに、まだ自分がなっていないのがわかります。
 
もっと修行しようっと
 
 
 
ではまた
(* ̄▽ ̄)ノ~~
 
 
 
 
 

2017年10月 6日 (金)

第350号 「母の介護で悩んでます」

<今回の執筆者:お月見>
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こんにちは。お元気でお過ごしでしょうか?
お月見です。
 
 
今回は、介護している、私の母との関係を整理したくて書きました。
 
85才の要介護 1の母とは、介護サービスを利用して私自身が無理しないサポートで、とやって来たのですが、気が付けば振り回され、すっかり私が疲れてしまいました。
 
だんだんと娘の私に依存し、感情だけで、ぶつかって来る母。
なんとか、この関係を整理しなければ!と焦ってしまい、かえって拗れて、酷い言葉を言われたり。
言ったことは覚えてなくて、自分が言われたことは、ずっと覚えている。
 
ホトホト参りました。
 
次女が思春期に荒れた時は、命をかけても、向き合わなければ!
と震えるほど恐ろしい中でも、強い気持ちがありました。
 
しかし、母に対しては、そのようには考えられません。
 
私も近い将来、母の年齢になります。
その時、認知症になったり、感情的になったとしても、根っこの魂の部分で
 
「娘たち、自分の人生を、大事にしなさい!」
 
と心底思ってる人間でありたい!と強く思います。
 
今、心情的に母との距離を取るには?
と必死に考え、呼び掛け方を
 
「おばあちゃん」から「A子さん」
 
と、名前で呼び、「~ですね。」と敬語で話し始めてみました。
 
これですら、なかなか難しいですが、不安でドキドキする心臓を押さえながら(>_<)
少しずつ、続けてみます。
 
母と娘の関係、だけでなく近親者との心の問題は、白黒はっきりつけられることではないので拗れると苦しく、辛く、切ない、ですね・・
 
 
まだまだ、整理はつきません。
解決?って、あるんだろうか?
 
と胸苦しい日々ですが、なんとか、私自身の時間も作って、意識的に気を抜くこと。
母と話す時は意識して、距離を保って。
1人で抱え込まずに、周りも巻き込んで。
やっていこう、と思います。
 
 
 
ありがとうございました。
 
 
 
 
 

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